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WatSystem

発想は面白いと思う。そもそもこの仕組みは手形だけで取引しようというものであると言って良いだろう。あるいみ、日本のバブル期、迅速な取引を求めて、「とりあえず仕入れておきましょう」的発想でどんどん手形を発行し、それがやがて不あたりをだす。価値や信用の評価をリセットし、円にきちっと結びついた取引をしなかった結果、バブル崩壊を招いたと言えよう。そんなものがどこが良いのだろうかと思われるかもしれない。

WatSystemはすべての人がお金を発行できる。発行したお金は市場を巡りやがて自分のところへ戻ってくる。自分のところへ戻ってきたということは、自分がお金を発行するとき他人にしてもらった「借り」を返すということである。WatSystemは借りを作った人はいつぞやその借りを社会に対して返してくれるだろうという人間性善説に基づく経済システムである。

だが、借りを返さない人も居る。悪意を持って確信犯的に返さない人が居る一方で、やむなく返せない人もいるだろう。例えば、お金を発行したあと、重い病にかかり亡くなってしまった人であるとか。もう返るところのない彼らが発行した通貨が世の中を巡るといういうことは、その通貨を受け取り、他へ手渡した人たちが少しずつ分担してかれらの借りを返しているということである。こういった社会相互扶助の精神を目指しているシステムと言えよう。

しかし悪人のために相互扶助はしたくないと思われるかもしれない。しかし誰が悪人で誰が善人か、そんなことはわかるのだろうか。芥川の「羅生門」のように。

WatSystemは現代の経済の鏡でもある。今おこっているサブプライムローン問題も、結局アメリカの貧困層の住宅費を巡り巡って我々日本人が、物価の高騰という形で支払っているのと同じことだ。新銀行東京問題も、東京の中小企業の損害を都民全体で支えようというもの。聞こえは良いが、WatSystemの相互扶助システムどちらが良いのだろうか。

かつて私WatSystemの対局にあるシステムを考えたことがある。完全物物交換経済システムである。いわば、目の前にある「物」にしか価値を見いださない。という反信用経済システムである。物物交換の問題は、売り手の提示する「物」が買い手に取って価値のある物か、買い手の提示する「物」が売り手にとて価値のあるものかが流動的であり、取引が成立しにくいということである。しかしコンピュータが発達してくれば、物物交換市場システムを構築し、売り手買い手が提示する持ち物をストックし、現時点で最適な形の交換を計算で導きだし、Aさんの持ち物をBさんへ、BさんのもちものをCさんへ、Cさんの持ち物をAさんへ交換するといった複雑なパスも導出可能である。こうすることによって、完全な物物交換を実現する。どんな人も、売りたいもので、その時点で等価な買いたいものを確実に得ることが出来る。しかしこのシステムではローンは組めない。従って我々薄給の者たちはマイホームは持てない。信用という「物」をこの市場に出すことが出来ないからだ。

2008年03月20日

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