GLOBALBASE
http://www.globalbase.org/
注意事項:
1. もらった名刺は 名刺箱へ集める。
2. 作業用入館証は自分の役割が終わったらブースへ返す。
COSMOSについて
1. 「ワープ」メニュー
wwwブラウザの「ブックマーク」みたいなもの。いろいろなところへワープできる。
ワープメニューWhat’s Newからいろいろな場所をデモしてください。
2. 「ワープ」メニュー「ワープメニューに追加」から今見ているところを記録できる。
3. 複数のデザインテーマが選べるようになった。「環境設定」『アピアランス』
4. 機能改善について ブラウジングスピードの大幅改善が行われた。
コンテンツについて
1. Geosage 30mメッシュ衛星写真 (数テラバイトの画像をブラウズ)
2. 国際日本文化研究センター考古学GISデータベース
http://tunogis.nichibun.ac.jp/iseki/
3. NOAA衛星写真
4. NASA EarthSat 150mメッシュ
十数Gbyteを超える画像もブラウジング可能
5. プロットデータ
xlp://gbs.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp:8080/others/esri/plot1/img.crd
6. 今後の予定
30mDEM (Geosage) 毛利飛行士がスペースシャトルで採ってきた標高データなど
公開GATEWAY
1. 子供たちの地図
ホームページより、「トピックス」「あしたの地図よ」
http://www.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/gbgate/cocoroom/ashita-map/main.html
2. 高知工科大学データベース(未完成)
http://gbs.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/kaseki/
3. 音景観研究所
http://www.onkan.com/
4. その他 ホームページより、「実例とリンク」を参照。
東洋大学藤田研究室 観光・歴史・コンテンツの開発
東洋大学藤田研究室(国際観光学科)
当研究室ではGLOBALBASEサーバ7台を稼働し多岐にわたるコンテンツを開発している。
1. 井上円了世界旅行記マップベース化
東洋大学の学祖である井上円了は1888年に12か月(第1回)、1902年に9か月(第2回)、1911年に10か月(第3回)もの月日をかけて世界一周を3回遂行している。今年度は、このうち第2回および第3回のルートをGLOBALBASEのCOSMOSで閲覧できるコンテンツとして整備中である。
xlp://gbs2.itakura.toyo.ac.jp:8080/enryo/plot-world.crd
xlp://gbs2.itakura.toyo.ac.jp:8008/enryo2/plot-world2.crd
地球地図上に井上円了が訪問した月日、訪問地名、円了の所見等を現代文にて簡単にまとめなおし、足跡をたどれるようになっている。今後は、当時円了が日本に送った絵はがきの写真に対比される形で、現在の写真等を掲載する予定である。
2. タウンマップ等地域イヴェント情報の発信
藤田研究室所属のゼミ生卒業研究論文のテーマとして、地域のイヴェントや観光情報をマップベース化し発信している。テーマとしては、川越歴史マップベース、埼玉県の地元祭マップベース、前橋市イヴェントマップベース、金沢市ライトアップマップベース、久里浜町イヴェントマップベース、上海地下鉄でまわる観光マップベース、世界のワインとワイナリー訪問マップベース、宗教世界遺産マップベース、日光近辺の観光マップベース
xlp://gbs4.itakura.toyo.ac.jp:8080/kojima/plot-shanghai.crd
さらに、今年卒業生のタウンマップ情報も以下のGLOBALBASE-HTTP-GATEWAYから出力している。
http://gbs4.itakura.toyo.ac.jp/gateway/main.html
Parallelscape http://www.parallelscape.net/
リアルなロールプレイ >> 「パラレルスケープ」はGPS(Global Positioning System)とGIS(Geographical Information System)、情報通信技術、ヒューマンインターフェイスをオンラインゲームに統合した新しいシステムの提案です。
オンラインゲームは、コンピュータネットワークを介して専用のサーバや他のユーザーのクライアントマシン(パソコン、ゲーム機など)と接続し、オンラインで同時に同じゲーム進行を共有することができる遊びですが、このオンラインゲームと位置情報を融合させることで、従来のように固定されたパソコンから仮想的に動かしていたゲームのキャラクターではなく、現実空間の身体をゲームキャラクターとして動かすことで、仮想世界のゲーム展開を行うことが可能になります。
その他
1. 記事
ホームページの
「What's New」
「トピックス」「書籍」
[ネット記事] NTT Comzine 新IT大捜査線FileNo.010
「空間情報でインターネットが変わる」
[ネット記事] SF.JP 「今月のプロジェクト」 にGLOBALBASEが取り上げられる。
2. GLOBALBASEを公開しているページ。
(googleで「GLOBALBASE」で検索してみよ。)
オフィシャルホームページ
http://www.globalbase.org/
日本 sourceforge:
http://sourceforge.jp/projects/globalbase/
USA sourceforge:
http://sourceforge.net/projects/globalbase/
日本 Apple Computer/家庭&学習:
http://www.apple.com/jp/downloads/macosx/home_learning/
USA Apple Computer/Home & Learning:
http://www.apple.com/downloads/macosx/home_learning/cosmosglobalbasebrowser.html
MacUpdate (USA):
http://www.macupdate.com/info.php/id/25745
Vecotor ライブラリ:
Windows/学習&教育/地理:
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/edu/se431304.html
Macintosh/地理
http://www.vector.co.jp/soft/mac/edu/se431721.html
その他OS/UNIX/学習&教育/その他
http://www.vector.co.jp/soft/unix/edu/se436263.html
その他多数
2008年09月11日
場所について
「場所」という言葉のもつ意味は「空間」や「位置」といった言葉に比べ理解するのが難しい。私なりに「場所」の意味を感覚的に一言で言えば、「デジャヴュ」となる。といっても、この表現は、地理学的なアプローチを専門とする人々にとっては違和感があるかもしれない。初めて訪れた場所になぜか昔懐かしさを感じるというのが「デジャヴュ」の本来の意味である。
あえてこのような矛盾する表現を持ち出したのには二つの主張がある。一つは、「空間」や「位置」というものが、ある程度の客観性を持ち得る概念であるのに対して、「場所」は身体的かつ主観的な体験に基づくものだということだ。もう一つは、自分の身体は自分に帰属しているという感覚に良く似た「ない感覚の感覚」という特徴が場所にもあるということである。
「場所」は刻々と変化しているにもかかわらず、我々の「場所」への認識は、その変化に気づかない状態へと陥ってしまう。良くも悪くも、である。一種の「なれ」であり、これは身体的なものの持っている特性とも言え、臭覚や味覚といった五感の持っている特性とも非常に良く似ている。
「なれ」と言うとなにか悪いもののように思えるが、身体が自分に帰属しているという感覚とも言うことが出来ないか。自分の右手を左手で触ったとき、左手は、「自分の」右手を触っていると認識できる。これは非常に当たり前のことであるが、もし、右手に麻酔を打ったり、あるいは極度にしびれてしまった場合、その感覚が生まれなくなってしまうということを経験したことはないか。
「自分の右手が自分の手であると左手が認識する」ことは、右手と左手の神経系とと大脳が絶妙に働き合い生まれる、複雑な感覚現象であるにも関わらず、通常はこの状態が感覚がない状態であり、この感覚現象が働かなくなってしまった状態、つまり、麻酔やしびれを起こした状態が、異常な状態としての感覚を引き起こす。これはあべこべではないか。
正座でのお茶会が終わり、さあ立とうとしたとき、足がしびれ感覚がないとしたらどうなるか。手で体を支え、よろめきながら足の状態を目視したしかめ、感覚のない足をかばおうと全神経が足に集中する。まるで我が全身はこの足のためにあるかのように。
「失って初めてわかる」という言葉がある。「ない感覚の感覚」「身体への帰属の感覚」は思い起こせば至る所にある。身体そのものだけではない。たとえば性、宗教や文化といったものも全般的に似た感覚を持っている。そして「場所」もそうなのだろう。
「デジャヴュ」とは「身体への帰属の感覚」を本来あり得ないはずの場所に対して感じる感覚と考えるならば、「失って初めてわかる」感覚と絶対値等価な逆方向のベクトルと考えることが出来る。このような「場所」に関する思考実験を通して私は、一つの視点にたどりついたように思う。「旅人」という視点である。
世に様々な旅人が居る。松尾芭蕉、風邪の又三郎、寅さん....。旅人は「ない感覚の感覚」を何らかの理由で脱せざるを得なかったか、あるいは自ら脱しようと考えているのか、そういった人物である。その意味で「場所」を考える上でのひつの指標となり得はしないか。旅人には、異常とか異邦人、あるいは障害者といわれ、排除の対象となる一方で、凝り固まった「ない感覚の感覚」を打破する可能性を秘めている。
2008年04月19日
発想は面白いと思う。そもそもこの仕組みは手形だけで取引しようというものであると言って良いだろう。あるいみ、日本のバブル期、迅速な取引を求めて、「とりあえず仕入れておきましょう」的発想でどんどん手形を発行し、それがやがて不あたりをだす。価値や信用の評価をリセットし、円にきちっと結びついた取引をしなかった結果、バブル崩壊を招いたと言えよう。そんなものがどこが良いのだろうかと思われるかもしれない。
WatSystemはすべての人がお金を発行できる。発行したお金は市場を巡りやがて自分のところへ戻ってくる。自分のところへ戻ってきたということは、自分がお金を発行するとき他人にしてもらった「借り」を返すということである。WatSystemは借りを作った人はいつぞやその借りを社会に対して返してくれるだろうという人間性善説に基づく経済システムである。
だが、借りを返さない人も居る。悪意を持って確信犯的に返さない人が居る一方で、やむなく返せない人もいるだろう。例えば、お金を発行したあと、重い病にかかり亡くなってしまった人であるとか。もう返るところのない彼らが発行した通貨が世の中を巡るといういうことは、その通貨を受け取り、他へ手渡した人たちが少しずつ分担してかれらの借りを返しているということである。こういった社会相互扶助の精神を目指しているシステムと言えよう。
しかし悪人のために相互扶助はしたくないと思われるかもしれない。しかし誰が悪人で誰が善人か、そんなことはわかるのだろうか。芥川の「羅生門」のように。
WatSystemは現代の経済の鏡でもある。今おこっているサブプライムローン問題も、結局アメリカの貧困層の住宅費を巡り巡って我々日本人が、物価の高騰という形で支払っているのと同じことだ。新銀行東京問題も、東京の中小企業の損害を都民全体で支えようというもの。聞こえは良いが、WatSystemの相互扶助システムどちらが良いのだろうか。
かつて私WatSystemの対局にあるシステムを考えたことがある。完全物物交換経済システムである。いわば、目の前にある「物」にしか価値を見いださない。という反信用経済システムである。物物交換の問題は、売り手の提示する「物」が買い手に取って価値のある物か、買い手の提示する「物」が売り手にとて価値のあるものかが流動的であり、取引が成立しにくいということである。しかしコンピュータが発達してくれば、物物交換市場システムを構築し、売り手買い手が提示する持ち物をストックし、現時点で最適な形の交換を計算で導きだし、Aさんの持ち物をBさんへ、BさんのもちものをCさんへ、Cさんの持ち物をAさんへ交換するといった複雑なパスも導出可能である。こうすることによって、完全な物物交換を実現する。どんな人も、売りたいもので、その時点で等価な買いたいものを確実に得ることが出来る。しかしこのシステムではローンは組めない。従って我々薄給の者たちはマイホームは持てない。信用という「物」をこの市場に出すことが出来ないからだ。
2008年03月20日
多中心型(polycenteric)の通貨による新しい経済の指向。
このプロジェクトもはや9年になる。ブラウザCOSMOSだの、サーバLANDSCAPEだの、ようやく九年前に考えていたような動きをするようになってきたかなといったところだ。従ってこれからが本当に実用化に向けた様々な開発、プロモーションが始まると言って良い。
この九年間の間にも様々なことがあった。ここで改めて「地図とは何か」と自分自身で問い始めている。日本にいるとあまり感じないことではあるが、世界的に見れば地図はやはり軍事情報である。確かに様々な観光地図などは気兼ねなく手に入れられる場合が多いのだが、ひとたび、航空写真や地形図となると話が違う。例えば中国は百万分の一以上の解像度のある地形図は国外持ち出し禁止である。他の国でも、地形図を使った情報を公開するにはいろいろな制限がかけられている場合が多い。
しかし、おそらく人間が風景画を書いたときから地図という概念はおぼろげに生まれ始めていたに違いない。それはとてつもなく昔のころのことである。ラスコー洞窟の動物の絵を見ると、この壁画を観賞用として描いたと考えるよりは、どこにどういう動物がいるか、どういう狩りをしたらよいか、といった実用的な目的の方がつよかったに違いないと思う。もし、動物の配置をおぼろげに空間的な配置を考えて描いていたとしたら、そこにすでに地図の要素が始まっている。
幼い子供に絵をかかせると、まずはクレヨンでぐちゃぐちゃっとした意味のない渦巻きを書き始める。意味のない絵から、おうちや人、自動車、様々なアイテムを描き始める。さらにはそれらが沢山描かれた絵を描くだろう。そうなったとき、そこにはある種の空間概念、いわゆる地図が出来上がっている。
空間という概念は人間が生まれつき持っている概念である。従って空間を図化したものいわゆる地図というのは、じつは人間にとって他の概念よりまして身近なものなのと考えてもよいのではないか。
2007年08月12日
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